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甦る古代金堂 慧日寺金堂の復元【第4回】 柱材の加工

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月17日更新
~甦る古代金堂~ 慧日寺金堂の復元

今回は、柱材の加工について紹介します。

母屋柱・側柱に使用される直径一尺二寸~三寸(約36~39cm)の材を採るために、根本直径が1mに近いヒノキの原木が調達されました。金堂は全体で36本の柱によって構成されますが、各柱とも横架材との取合い、礎石への据付け状態を確かめながら位置や向きを決定します。したがって、仕上げ加工前には、すべての柱の配置が決められることになります。


ヒノキの原木の写真
ヒノキの原木
                   下矢印
製材の様子 背割を入れ乾燥
原木をおおよそ40cm角に製材し、背割りを入れてしばらく乾燥します
                   下矢印

丸柱を作るには、四角に製材した材木を8角、16角、32角の順で角を落としていき、最終的に丸形にしていきます。その後、表面をやり鉋(かんな)で仕上げます。


4角から8角に帯のこで角を落とす作業の写真
4角から8角に《帯ノコで角を落とします》
                下矢印
8角から16角にする作業の写真
8角から16角に
                下矢印

8角から丸にはプレーナーと呼ばれる加工機で削っていきます


32角から丸柱にする作業の写真
32角から丸柱に
                下矢印
やり鉋で表面の仕上げをしている写真
やり鉋(かんな)で表面を仕上げます
                   下矢印
仮立てをして、前後左右を決める様子の写真1  仮立てをして、前後左右を決める様子の写真2
柱は一つ一つ形の異なる礎石の上に立てられるため、一本づつ仮立てをして、前後左右を決めていきます
                   下矢印
配置を示す墨付けを行う作業の写真
配置を示す墨付けを行います

ヒノキの話

ヒノキと聞いて真っ先に思い浮かぶのは「木曾ヒノキ」。古くよりわが国の神社・仏閣はこぞって建築材に使用しました。ところが、戦国の世が終わり、江戸時代初めに迎えた未曾有の建築ブームが木曾ヒノキに枯渇をもたらしました。尾張藩は厳しい森林保護政策を打ち出して、明治初期までには木曾谷に6万2千haのヒノキ林が戻りましたが、その後の材木需要によって現在はその1月3日にまでに減少しています。このままでは50年足らずで底をつく試算もあります。木曾のほかにも、紀州や吉野・尾鷲などの産地がありますが、蓄積量はそう多くありません。金堂には木曾と並ぶ天然林産地として有名な、土佐のヒノキが使われます。貴重な国産ヒノキの伝統を受け継ぐ建物として、後世に長く守り伝えていくことが必要です。

甦る古代金堂 慧日寺金堂の復元シリーズ

第1回 基礎工事
第2回 原寸図の検討
第3回 屋根材の加工
第4回 柱材の加工
第5回 塗装 その1 赤
第6回 現地組み立て その1
第7回 塗装 その2 緑・黄・白
第8回 現地組み立て その2
第9回 現地組み立て その3
第10回 現地組み立て その4
第11回 現地組み立て その5
第12回 現地組み立て その6
第13回 現地組み立て その7
第14回 現地組み立て その8
第15回 現地組み立て その9
第16回 金具・須弥壇の漆塗り
第17回 現地組み立て その10
第18回 竣工
第19回 落成式
第20回 一般公開

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