慧日寺金堂復元!(史跡慧日寺跡整備復元事業)
印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月1日更新
伽藍南半部の整備
慧日寺金堂復元建立予定地(整備進行中)
国指定史跡内での建物復元にあたっては、文化庁でのさまざまな審議を経て初めて建設が可能となります。まず町では、関係諸機関の指導の下、平成17年度の「復元検討委員会」に資料を提出してきました。委員会では3回にわたって検討が行われ、平成17年2月の検討委員会をもって審議が終了しました。引き続き金堂復元にかかる史跡の現状変更許可の申請を行い、再度文化審議会による審議に諮られました。
これらの諸審議を経て、平成17年度始めに文化庁長官から許可の通知を受け、金堂の建物復元が正式に決定したところです。町では早速に実施設計に取り組み、平成17年度の秋から3ヵ年の計画で金堂の復元工事に取り組み、平成20年3月に完成しました。
今後は、金堂前面に広がる石敷き広場の復元整備、さらには中門の建物復元を行っていく予定です。
慧日寺金堂の特色
慧日寺金堂の復元模型(実物大の1/50)
創建当初の金堂は、発掘調査の結果、間口(桁行き)が七間、奥行き(梁間)が四間の五間四面堂であったことが分かりました。柱間寸法は桁行きが中央間十一尺、ほかが各七尺、梁間は中二間が各八尺、前後端間が各七尺でした。総間は桁行き五十三尺(15.9m)、梁間が三十尺(9m)になります。
屋根葺き材
- 一般に寺院建物は瓦葺きの屋根であることが多く見受けられますが、慧日寺の場合、発掘調査では一片の瓦も出土していません。したがって、植物性の材料で葺かれていたことが推定されています。
- 檜皮葺きについては、土地柄から材料の入手が困難であったことから、こけら葺きかとち葺きであったと思われます。
床
- 発掘調査では床面に石や磚敷きの痕跡がなく、土間叩きの跡も見つかっていません。
- 「絹本著色恵日寺絵図」では各建物とも床板を張った表現が見られることから、時代は異なりますが、創建期の金堂も床板を張っていたものと思われます。
組物
- 積雪時の荷重を考えた場合、平三斗や大斗肘木のような軒先を柱筋から持出さない組物であったと考えられます。 以上に基づいて、当時用いられていたと推定される材料、工法にできる限り近い仕様で建築を行なっていきます。